レトリーバーから

ブログの方で初公開した作品。
全体的にオシャレな感じにしてみたつもりです・・・・。
セリフよりも、圧倒的に描写が多くて、ストーリー性は薄いですが、
自分の中では自信作でした(^^;

気がつくと、私はバスに揺られていた。
たしか、満月になりかけの月が出ていたような気がする。
時計を見てみると、11時だった。
座席には誰も居ないと思ったけど、一人の男の人がいた。
彼は本を読んでいたけど、私に気づいたみたいで、藍色の本を閉じた。
「そこの人、名前はなんていうんだ?」
突然の一言で私はびっくりして、
「高野 菜穂です。」
と普通に答えてしまった。
今時自分の名前をすんなり教える人なんて、
有名な社長かセールスマンぐらいしかいないと思った。
「俺は灰川 健輔。今はギタリストやってんだ。」
彼は灰色の瞳で私に振り向いた。
よく見るとあまり見ない形のケースが彼の足元で腰を下ろしている。
「俺は好きで仕事を教えただけだ。
わざわざあんたも言わなくていい。」
たった一言だけど彼は私に言った。
私が何も言わないのに私の気持ちが分かるのだろうか。

灰色の雲がまた少し、空に浮かんで消えた。
気付くともう明日になっていた。
彼は腕を組んで眠っていた。
私も眠ろうか、と思ったけど
素敵な街灯が彩る夜の町がもったいなくて。
橙色の商店街、青白いビル、そしてもう少しで大人になる月。
そんな景色を眺めているうちに、私ってなんで生きてるのかなとふと思ってしまった。
普通に考えれば、母と父が産んでくれたからってことだけども、
このバスに乗るためかなとも思った。
橙の商店街を心に残して置きたかったからかな。
もしかしたらたった一人のギタリストに会うためかもしれない。

毎日の様に聞く高いブレーキ音を立てて、バスが信号の前で止まった。
彼が目を覚ましたのか、ケースが揺れた。
髪をふらふらした右手でかき、ぽつんと独り言を言った。
「あーあ。このバスを降りる頃には、日が昇ってるかな・・・」
全然気にしていなかったけど、もう朝なんだ。
高層ビルの隙間からうっすらと光が漏れていた。
私はこの日が昇れば、またあの会社に行かなくてはならない。
「健輔さんは、明日・・・いや今日は何処かでライブでもあるんですか?」
初めで最後の質問。でも彼はすんなりと答えてくれた。
「いいや。俺はライブなんていつするかわかんねーな。
もしかしたら来年かも知れねぇし、もしかすると今日かもな。
なにしろ自由に生きてるから。」
ふてぶてしい笑顔というやつがこれかなと私は思った。
彼は笑顔でこんな事が言えるんだ。
そう、自由に生きているから。

日が昇った。珍しく、今日は快晴だ。
彼が言った通り、私たちが終着ターミナルに着く頃には日が昇った。
「じゃあな。」と軽い挨拶を彼はしてくれた。
私も「またどこかで。」と会う予定があるような曖昧な挨拶をして別れた。
そういえば・・・彼は、灰色の髪で、灰色の瞳で、灰色のジャケットを着ていた。
名前は灰川 健輔。
でも、心は灰色なんかじゃなく、誰よりも澄んだまっさらな白だった。

さて、そろそろベッドから起きるかな。
私のまっさらな本当の今日がやっと始まりそうだし。
うるさい目覚ましを止めて、私は階段を一つ一つ降りた。

END
夜バスの中で